なまはげの由来と稲作

紀元前3世紀頃、秦の始皇帝の命により不老長寿の薬を求めて、男女3000人を連れて、五穀の種と百工を伴ってやってきたという徐福伝説がある。

 

徐福は中国では実在の人として、江蘇省にその遺跡も発見され、「秦代に日本へ渡航し、日本建国の祖となった」とも言い伝えられているらしい。

 

男鹿半島の縦に連なる三山は熊野山ゆかりの修験者の山であり、同時に漢の武帝伝説の地でもあり、武帝の連れてきた五匹の鬼が、年1回里へ下りて暴れ回ったのが、「なまはげ」であるとされている。その男鹿半島には徐福にまつわる伝説があるという。

 

本山山頂に武帝の家来、五匹の鬼を祀った赤神神社があり、境内に徐福の塚がある。江戸末期、菅江真澄もこのことについて書いているそうだ。

詳しい事は今後機を見て調べたいと思うが、稲作の伝来となまはげの由来には因果がありそうである。

 

私たち日本人は、3000年の歴史に及ぶ稲作を今、自らの手で崩壊に導いている。終戦後たかが50年で、「食料難」の状況下で緊急的な需要を満たすため、急速に発達した近代稲作(今考えてみると、それは、農業のグローバリゼーションの一翼だった)は、原油、農薬、化学肥料に依存し、食料自給率というか「自給的なちから」をほぼ完全に失う方向に導き3000年の文化に終止符を打つ勢いだ。

 

農薬については、すでに1960年代後半頃、レーチェル・カーソン「沈黙の春」、有吉佐和子「複合汚染」によって、その問題提起の段階は終わっている。それからもう50年。半世紀もこの問題は置き去りなのか!

 

アメリカの薬剤メーカーがベトナム戦争で売れ残った枯葉剤の残りを全世界にバラまいて、莫大な利益を得た。

 

その農薬は、十分世界にバラまかれてから(利益をむさぼった挙げ句)、安全性に優れたというイメージを持つ次なる農薬が開発される。もちろん、開発はそれ以前になされているが、発表は時期が熟れるのを待つ。車や家電製品と同じ戦略。売れる時期をマスでコントロールしてから、発表される。

 

農薬は姿、かたちを変えて、複合的に合成し、地中に潜み、あるいは海へ流され、貝類や魚の内蔵を経て人間に還ってくるか、一方では、気化し、雨とともに私たちを襲う。

 

この繰り返しを我々は何度体験させられ、いつになったらその呪縛から解き放たれるのだろう。この世に安全な農薬など存在し得るのか。「最近の農薬は安全になったから..」などぬかすお役人もたまにいらっしゃるようだが、だったら目の前でそれを舐めてみせて下さい。

 

現在使われている農薬にはネオニコチノイド系(ニコチンに似せた人工物質)などがあり、水溶性で、植物自体が吸収してしまうので、水で洗う事が出来ない。そのまま人体に吸収される。

 

そもそも、水道水には十分な塩素が混入されているので、それで洗う事自体、安全性に疑問が残る。(水についてはいろいろ書きたい事もあるが、また今度にする)衛生的な塩素濃度っていったい何の事だろう?

 

原油、化学肥料だって、輸入なしでは成り立たない。

リン鉱石は近い将来入手困難な状況になっている。

原油だって解らない。中東でのエネルギーを狙う争いと深い関係がある。

まさに、近代農業の三種の神器といえる原油、農薬、化学肥料。

 

最近のお母さんのお腹の中の胎児を守る羊水は、洗剤の匂いがする。という恐い話は、妻の妊娠中に聞いた。

 

癌や生殖異常や成人病と、農薬ありきの農業との因果関係は?

という研究が何故すすまないのか?

(やられてはいるが、マスなメディアに隠匿させられるているだけか?)

 

農薬改め「農毒」と呼ぶべきではないか。

以前、大潟村で大規模畑作経営の現場にいたが、加工トマトの契約栽培の現場は凄まじい。ほぼ、生育期間中、農毒にどっぷりだ。真っ白に農毒の残骸が残ったまま、コンテナに詰められ出荷されていく。

私はそれを見てからというもの、濃縮還元トマトジュースや野菜ジュースなどの危険物の類いには、触れる事すら恐ろしい。

 

大規模で生産されている物は、多かれ少なかれ、農毒の洗礼を受けている。

大手小売店では、大規模生産者の品ばかり集められるから、ほとんどがそういう品だと言っても過言ではないと思っている。

 

なるべくなら、小さくやさしく農と向き合う農家の生産物を選ぶべきだ。

 

もし、「日本は世界を代表する長寿国じゃないか!」という問いがあるのなら、「今の長寿者の幼少期はまだ食が侵されていなかった」が適切だろう。

 

今後、団塊ジュニア世代あたりの、寿命動向が注目されるが、短くなって行くのは必死じゃないかと思っている。

 

少子高齢時代に、短寿命傾向が重なる。皮肉にも豊食の時代は、決して食に豊かな時代ではなく、「飽食」の時代となってしまった。

 

我が家から見える男鹿連山へと沈む夕日を、

悲しみの対象として哀れむべきか。明日への希望をつなぐ豊かな心で見届けるべきか。

 

「豊か」だとされる国から「貧しい」とされる国へと売り飛ばされたいずれゴミへと変わる「環境にやさしい車」は今なお増え続ける。

 

根本的にエネルギー転換の課題は、企業の排出権取引なんかで測れる物では決してなく、私たち自身の「行動」という一連の問題だ。

 

せめて、明日を担う子供たちの世代に、可能性を残すこと。

これが私たちの世代に課せられた使命だ。