玄米食を考える

科学がいかに発達しようとも私たちは植物の種子一つ、

米粒のひとつを創造することができない。

 

私たちはお米を、種子である籾(もみ)の籾殻(もみがら)を取り除いて、

玄米の状態にしてから、胚芽と糠(ぬか)を削って白米にして食べるようになった。

 

最近は家庭用精米機も普及して、玄米貯蔵しておいた米を、

食べる分だけ精米するという考え方も定着している。

 

しかし、自然食や逆輸入されたマクロビオティックなどの考えから

再び玄米食に戻るという傾向も秘めている。

 

いっこうに減らない「貧しい国」の人々の飢餓を救うためには、大量の穀物が必要とされるという。

反面、世界穀物の三分の一は畜産飼料に使われているそうであるが。

 

日本の人口は減少化に転じたが、世界人口は増え続ける。(現在65億人が2050年に100億人を超えるという予測がある)

中国やインドなどの高度経済成長に突入した国が、これまでの日本のような大量消費の政策を採り、

国内の食料を世界中から輸入すれば良いという考え方が、果たしてその過剰人口の腹を満たす事ができるのか。

 

また、世界では穀物価格が高騰している。投機筋からの経済介入の動きもある。

大豆や小麦の生産量と供給量は、明らかに日本ではアンバランスしている。

 

時には珍しいものを食べたいという想いはあるが、

私たちが普段口に入れる物を他国に頼るという考えは、恥ずべき事と認識を変えるべきだ。

 

世界的な穀物不足や食糧争奪の気運が高まれば、玄米食は避けられない。

白米は、胚芽と米糠として多くの栄養素を削り落としてしまっている「もったいない現代食」のひとつだ。

 

胚(胚芽)よりも米糠に大量の飽和脂肪酸が含まれている。この飽和脂肪酸には、農薬や土壌に含まれている脂溶性のダイオキシンや重金属類が多く含まれ、白米よりも栄養分があるが、かえって危険性がある。

 

これが現代が白米食であるひとつの理由か。

だから安全な玄米は無農薬栽培に限る。無農薬でないものや減農薬の玄米はそのまま食べるのは避けた方が良い。

 

ちなみに、米一粒中には栄養分として胚芽に60%,米糠に20%,白米に20%。つまり、白米で食べるというのは、実に無駄の多い食べ方となる。

 

安全な米(本当の無農薬栽培米)であれば、胚芽と米糠と白米部分をそのまま食べられる。

「最も栄養価の高い食べ方」という事になる。でも、どのように食べたいかというのは、好みだと思う。

 

昔の農家は、直接消費者へお米を販売する経験がなかったから、農薬を使っていても無農薬だとか、安全な米だと、平気でホラを吹いてた。実際、農薬の被害も少なかったかもしれない。