コラム

農や水や環境にまつわる案件で、残しておきたい事などをここにまとめていきます。

04

2月

2010

生命(いのち)のダンス、魂の食(soul food)

北海道時代の恩師に借りた宇根豊さんの本の中に、

「田んぼは、トンボの生産場だ」という話がありました。

「ふむふむ。田んぼがなければ、日本にはトンボは存在出来なくなるのか。」

 

と、そのときは農業をはじめる前で、理屈を読んでいました。

 

2009年6月末、その事実を裏付けする出来事に僕は出会いました。

早朝4時、いつものように田んぼの水位を確認するため、田んぼを見て回っていました。

 

6月末の秋田の稲の姿と言いますと、ぴょんぴょんと水面に葉をもたげる位になる頃で、いよいよ、田んぼが青くなってくるぞ という季節です。

 

その日、少し大きくなってきたなぁと思うまだ小さい稲が、白っぽく変色しているではないですか!

 

「こりゃまずい、何かの病気だ」と不安になり、不耕起栽培普及会の岩澤先生に電話を掛けようとも思うほど、一瞬、目の前が闇に包まれるような不安でした。

 

おそるおそるではありますが、その白い斑点に目を凝らしてみました。

すると、きらきらと光る何かがはたはたと風になびいているではないですか。

 

おや。と思い、頭を上げ田んぼ全体に目を移しました。

驚きで、涙がこぼれそうでした。

 

水面のいたるところで、今まさにやごから孵化したばかりのトンボが、まだ自らを空に浮かせる羽の乾く間もなく、稲の上で、その背中に生えた道具を風にさらしているらしいのでした。

 

「これだ。これが答えだった。」と興奮で身震いしました。

 

もう一度、周囲を包囲する慣行栽培(農薬を使用する一般的な栽培)の田を

見回しましたが、一匹たりともその姿を発見する事はできませんでした。

 

トンボの孵化を見たのは耕さない田んぼの中だけ。

田んぼに見えた白いぽつぽつしたものは、朝露に濡れた産まれたばかりのトンボの羽です。

 

水中で生まれたやごが、大きくなって、稲に登り、

羽を乾かしているらしいのでした。

 

ようやく、朝日が黄金味を帯びてくる頃、

ふわ、ふわっと大空を目指して1羽、また1羽と地を離れます。

 

気がつくと、僕の頭上には、トンボの大群による協奏曲が流れていました。

空高く、その爽快な朝の一コマに、おてんと様からの「贈り物」を受け取った気分に満たされました。

 

もしかしたら、周りの田んぼにもこのような出来事は存在するかもしれません。定かではありません。科学ではまだ推定の域を脱しません。

 

しかし、このいのちの営み(dance)を大切にする心こそ、

魂の扶養を担う食だ。と僕は確信しています。

 

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26

1月

2010

なまはげの由来と稲作

紀元前3世紀頃、秦の始皇帝の命により不老長寿の薬を求めて、男女3000人を連れて、五穀の種と百工を伴ってやってきたという徐福伝説がある。

 

徐福は中国では実在の人として、江蘇省にその遺跡も発見され、「秦代に日本へ渡航し、日本建国の祖となった」とも言い伝えられているらしい。

 

男鹿半島の縦に連なる三山は熊野山ゆかりの修験者の山であり、同時に漢の武帝伝説の地でもあり、武帝の連れてきた五匹の鬼が、年1回里へ下りて暴れ回ったのが、「なまはげ」であるとされている。その男鹿半島には徐福にまつわる伝説があるという。

 

本山山頂に武帝の家来、五匹の鬼を祀った赤神神社があり、境内に徐福の塚がある。江戸末期、菅江真澄もこのことについて書いているそうだ。

詳しい事は今後機を見て調べたいと思うが、稲作の伝来となまはげの由来には因果がありそうである。

 

私たち日本人は、3000年の歴史に及ぶ稲作を今、自らの手で崩壊に導いている。終戦後たかが50年で、「食料難」の状況下で緊急的な需要を満たすため、急速に発達した近代稲作(今考えてみると、それは、農業のグローバリゼーションの一翼だった)は、原油、農薬、化学肥料に依存し、食料自給率というか「自給的なちから」をほぼ完全に失う方向に導き3000年の文化に終止符を打つ勢いだ。

 

農薬については、すでに1960年代後半頃、レーチェル・カーソン「沈黙の春」、有吉佐和子「複合汚染」によって、その問題提起の段階は終わっている。それからもう50年。半世紀もこの問題は置き去りなのか!

 

アメリカの薬剤メーカーがベトナム戦争で売れ残った枯葉剤の残りを全世界にバラまいて、莫大な利益を得た。

 

その農薬は、十分世界にバラまかれてから(利益をむさぼった挙げ句)、安全性に優れたというイメージを持つ次なる農薬が開発される。もちろん、開発はそれ以前になされているが、発表は時期が熟れるのを待つ。車や家電製品と同じ戦略。売れる時期をマスでコントロールしてから、発表される。

 

農薬は姿、かたちを変えて、複合的に合成し、地中に潜み、あるいは海へ流され、貝類や魚の内蔵を経て人間に還ってくるか、一方では、気化し、雨とともに私たちを襲う。

 

この繰り返しを我々は何度体験させられ、いつになったらその呪縛から解き放たれるのだろう。この世に安全な農薬など存在し得るのか。「最近の農薬は安全になったから..」などぬかすお役人もたまにいらっしゃるようだが、だったら目の前でそれを舐めてみせて下さい。

 

現在使われている農薬にはネオニコチノイド系(ニコチンに似せた人工物質)などがあり、水溶性で、植物自体が吸収してしまうので、水で洗う事が出来ない。そのまま人体に吸収される。

 

そもそも、水道水には十分な塩素が混入されているので、それで洗う事自体、安全性に疑問が残る。(水についてはいろいろ書きたい事もあるが、また今度にする)衛生的な塩素濃度っていったい何の事だろう?

 

原油、化学肥料だって、輸入なしでは成り立たない。

リン鉱石は近い将来入手困難な状況になっている。

原油だって解らない。中東でのエネルギーを狙う争いと深い関係がある。

まさに、近代農業の三種の神器といえる原油、農薬、化学肥料。

 

最近のお母さんのお腹の中の胎児を守る羊水は、洗剤の匂いがする。という恐い話は、妻の妊娠中に聞いた。

 

癌や生殖異常や成人病と、農薬ありきの農業との因果関係は?

という研究が何故すすまないのか?

(やられてはいるが、マスなメディアに隠匿させられるているだけか?)

 

農薬改め「農毒」と呼ぶべきではないか。

以前、大潟村で大規模畑作経営の現場にいたが、加工トマトの契約栽培の現場は凄まじい。ほぼ、生育期間中、農毒にどっぷりだ。真っ白に農毒の残骸が残ったまま、コンテナに詰められ出荷されていく。

私はそれを見てからというもの、濃縮還元トマトジュースや野菜ジュースなどの危険物の類いには、触れる事すら恐ろしい。

 

大規模で生産されている物は、多かれ少なかれ、農毒の洗礼を受けている。

大手小売店では、大規模生産者の品ばかり集められるから、ほとんどがそういう品だと言っても過言ではないと思っている。

 

なるべくなら、小さくやさしく農と向き合う農家の生産物を選ぶべきだ。

 

もし、「日本は世界を代表する長寿国じゃないか!」という問いがあるのなら、「今の長寿者の幼少期はまだ食が侵されていなかった」が適切だろう。

 

今後、団塊ジュニア世代あたりの、寿命動向が注目されるが、短くなって行くのは必死じゃないかと思っている。

 

少子高齢時代に、短寿命傾向が重なる。皮肉にも豊食の時代は、決して食に豊かな時代ではなく、「飽食」の時代となってしまった。

 

我が家から見える男鹿連山へと沈む夕日を、

悲しみの対象として哀れむべきか。明日への希望をつなぐ豊かな心で見届けるべきか。

 

「豊か」だとされる国から「貧しい」とされる国へと売り飛ばされたいずれゴミへと変わる「環境にやさしい車」は今なお増え続ける。

 

根本的にエネルギー転換の課題は、企業の排出権取引なんかで測れる物では決してなく、私たち自身の「行動」という一連の問題だ。

 

せめて、明日を担う子供たちの世代に、可能性を残すこと。

これが私たちの世代に課せられた使命だ。

 

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12

12月

2009

JAS有機農産物にご用心!

2009年12月7日 朝日新聞 2009年12月7日 朝日新聞

畜産農家には頭の痛い話かもしれないが、反論を恐れずに言葉にしてみたい。

 

皆さんは、日本農林規格(JAS)をご存知だろうか?

簡単に言うと、工業製品などに見られるJIS規格の農業版のようなものである。安全な商品、安心して食べる事のできる食べ物の品質維持などを目的として、公的な保証を与える機関といったところだろうか。JAS法という法律がある。

 

このJAS法の中に、有機農産物を規定する項がある。

有機農産物とはつまり、有機的な栽培方法によって作られた農産物である。有機農産物は、生産者や販売者が勝手に表示することができない。「オーガニック、有機」などの表示をするためには、第三者機関である認証機関の検査等を受けて、「認証」を受けなければならない。(これまでずーーっと有機的な栽培を続けてきた方々からは、こんな法律は受け入れられないという反論が根強い。)

 

認証されるのは、種蒔きまたは植付け前2年以上、禁止農薬や化学肥料の使用をしていない「圃場」で、栽培中の使用ももちろん、遺伝子組み換え技術も禁止されている。

 

スーパーに並んでいる食品の中にはたまに見受けられる緑色のJASマークがそれにあたる。下に認証機関名が記されている。

 

認証機関は、日本中に多数存在し、使用農薬のチェックや圃場での農薬使用履歴などの把握は、各認証機関の裁量にある程度、委ねられている。

 

詳細は知らないが、世界中に、例えばフランスのABマークなど、同様の規格が存在する。先日、日本のJAS有機認証が、EUでも表示可能というお墨付きをいただいたらしい。

 

オーガニック食品の流通とbio(自然のまま食べる事)は世界的な潮流のひとつだ。一見、すばらしい商品が産み出されるような仕組みに見える。しかし、気になっているのは畜産堆肥の使用に制限が無い事や、種子の検査にザルな点である。


産業廃棄物として行き場のない畜産堆肥を農産物に還元する。それ自体はとても重要な連鎖だと思う。しかし、何を食べているのかよくわからない我々現代人の人糞で考えれば分かるように、海外からの輸入飼料約80%と、輸入飼料に頼る現代の牛豚の糞尿を畑に投入するというのは、危険な行為ではないか?という疑問は持たなかったのか。あるいは、わかっていたが、どうしようもないしがらみがあるのか。


以前から指摘のあった事だが、JAS有機農産物は真に安全な農産物ではない。奇跡のリンゴの木村さんの本に書いてあったが、有機栽培の食品の腐れが最も早かったという実験結果は、恐らくこの辺りの事情ではなかろうか。安全だと思っていた物が、実は、不安全側に重心を傾けた事のショックは、ことのほか大きい。

 

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21

11月

2009

食料自給率低下問題の本質

世間ではすっかり「食料自給率」という言葉が定着した。

これは食料自給率戦略広報推進事業として農水省が年間17億円かけて進めている事業の中で、

「食料自給率向上に向けた国民運動推進事業」の部分を電通に委託して、

6.5億円の補助金で「FOOD ACTION NIPPON」を展開している事によるところが大きいとみている。

 

そもそも、この「食料自給率」という概念に問題があるのではないか。使われている指標はカロリーベースと呼ばれ、供給熱量総合食料自給率と定義されている。計算式は

 

     1人1日当たり国産供給カロリー

=     ———————————————————-

      1人1日当たり供給カロリー

 

すなわち、

 

     (国産+輸出)供給カロリー  ÷  人口

=    ——————————————————————

   (国産+輸入-輸出)供給カロリー  ÷  人口

 

となり2007年度の数値を当てはめてみると、

 

    1,016kcal

= ——————————    = 40%

    2,551kcal

 

で40%を示している。しかし、ここで問題は分母の供給熱量であり、これは国民に対して供給される総熱量を指し、必要摂取熱量ではない。2006年厚生労働省「国民健康・栄養調査」によると1人当たり平均摂取熱量は1891キロカロリーであり、この数値を用いると

 

    1,016kcal

= ———————————-       =     53%

    1,891kcal

 

と日本人の必要摂取カロリーに対しては50%を超える自給率がある。つまり、分母の約4分の1を占める700kcalのロス(つまり廃棄量や食べ残し)があるという事実が浮かび上がってくる。

 

さらに、この計算式では、他国から輸入できる食料が無くなれば、

    1,016kcal

= ———————————-       =     100%

    1,016kcal

となり、これからの貿易縮小時代には極めて100%に近くなるものの、我が国の食料自給力を明確に示すものではない事が明らかである。

 

私たちがが本当に知りたいのは、「いざ」という時代を迎えて、

自分たちが食べられるだけの食料を自給出来る力は、どの程度かという事だろうと思う。

 

そもそも、現在の日本の農業は石油依存で成り立っているが、」

我が国の原子力を除いたエネルギーは100%に近く輸入である。

その9割は中東から。中東で何かが起これば、一気に飢餓という事態を想定せざるを得ない。

 

また、家畜飼料自給率は26%とされているが、世界中で穀物が不足する時代に我が国の家畜を養うために安価な飼料を輸入し続ける事は長くは続かないと考えられる。

 

さらに、化学肥料の原料となっているリン鉱石(100%輸入)をめぐり、輸出元である中国、アメリカはすでに自国の農業の保護に努める政策を発表している。

http://news.livedoor.com/article/detail/3679274/

 

ちなみに、秋田県内の食料自給率を見ると、

米ではなんと670%、大豆164%、などで全体では174%にもなると言う。

しかし、前述のエネルギー依存度を加味した場合、これらの数字は何の意味を持つのか。

 

長年続いた戦後農業政策において、小規模自給農家は蚊帳の外に追い出されてきた。

真の自給力は自分たちが自分たちで食べるものをつくれる能力にある。

つまりこれは、都市部では限りなくゼロに等しい。

 

食料を他国から輸入に頼るという事は、

その国の農村とそこに暮らす農民の生命と僕らは無縁じゃないってことだ。

 

エネルギーを輸入して、世界に誇れる工業技術で機械部品を製造して、

じゃあ、つくる人がいなくなった食べ物は他国から輸入すれば良いじゃないか

 

という金融グローバリゼーションの波のもとで、世界は飢餓を誘発している。

 

このことが本質的な食料自給力の問題ではなかろうか。 

 

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18

11月

2009

遺伝子組み換え種子についての考察1

10月中旬に収穫適期を逃して大きくなり過ぎたズッキーニを摘果して追熟させておいた。

1ヶ月も日陰に置かれた特大サイズのズッキーニの中は、腐敗臭もせず、真白な綿で埋め尽くされていた。

少し早かったかも知れない。

でも、綿をほぐして中を見てみると、身も重量も充実した種子が採れた。

 

皆さんも家庭菜園等で収穫期を逃した野菜などがあれば、そのまま熟させて採種してみると面白いですよ。特に充実した実をつけたゴーヤなどの瓜類は、簡単なのでおすすめです。

 

ホームセンターの一角で袋に入って「売っている」種子だけが「種」ではないですからね。

 

たねについて考えるととても複雑な気持ちになる。皆さんも今度ひまなときにでも、そのホームセンターで売っている種子の袋の裏を見て下さい。普段何気なく食べている野菜や「京野菜」の種の生産地は「アメリカ」だったり、東南アジアだったり、あるいはヨーロッパだったりします。国産種子は非常に少なくて、国内に種苗メーカーはたくさんあるのに輸入ものってどういう状況なのかと考え込んでしまいます。

 

 

どうしてこういう事が起こるのでしょうか。

 

現在、農業の現場で使われる種子(つまり市場に出回っている食品)の殆どは耐病性などを身につけた交配種です。この種子は、1度の生命を全うするために特殊交配されたりしていて、次世代(すなわち親から子の世代)の生長に異常が起こるとされています。だから一度買った種は1世代の生長部分を我々人類や家畜類が食べるためにのみこの世に存在します。次の年に新しい種子を買う事は現在の農業では常識となってしまっています。業界では、この事を「種子更新」と言います。

 

これに対し、伝統野菜などと呼ばれる地場野菜は、何十年、何百年といった歳月をかけてその地の気候や天候などに適合してきたもの。お百姓がながーい時間をかけて選抜してきた種なのです。

 

特に生育の旺盛なものや大きな果実をつけたもの、というように。

 

時には突然変異が起こったりもします。まったく見た事もない色の花を咲かせたり、果実の形が変わる事は稀にあるようです。そこから新品種が生まれたりするのです。

 

しかし、こういう伝統的な種は現在希少品で、田舎のたね屋に行っても、棚に並んでいるのは大手種苗メーカーの種子ばかりで伝統的な種を目にする事はほとんどないのです。

 

秋田で行なわれている種苗交換会という伝統的な行事は昔、良質な種子を交換し合う場であったと思うのですが、今は、大型農機のショッピングセンターのような有様です。

 

最近の事実として、F1(一代交配)の種でも、何年も自家採取、更新を繰り返せばその地に根付いた作物になるという事が知られてきているそうです。

 

自給的な生活を目指すならば、いちいち毎年の種子を買って育てるよりも、長い時間をかけて、自分の種を育てるというのが理にかなっていておもしろいでしょう。

 

問題となるのは、大規模農業における種子更新の常識です。大規模農業となると、農作業の簡略化と、一つの作物の一元管理が必須である事から、病害の発生の少ない耐病性種子の使用は免れない。

 

すなわち「化学肥料の多投」、そして「農薬の使用」と強く結びつき、1つの解を導く方程式の因子となっているようです。今にはじまったことでなく、これからの食料争奪世代において、「遺伝子組み換え種子」の存在を危険視しています。日本ではあまり知られていないのですが、それらの種子のひとつひとつに特許が与えられ、伝統的な種をつぶす勢いがあります。

 

最近話題の遺伝子組み換え大豆、遺伝子組み換えとうもろこしなどの種子は、ある除草剤を使用すると、雑草は枯らすが、その作物には効果がない、というようにアメリカの大手農薬メーカーが遺伝子操作した種子の一例です。

 

遺伝子組み換えとうもろこしなどは主に家畜の餌となるので、牛や豚などの肉には、恐ろしい変化が起きているはずです。日本における家畜の餌は76%以上輸入です。(農水省)http://www.maff.go.jp/j/chikusan/sinko/lin/l_siryo/index.html

 

コメは、現在のところかろうじて企業の種子支配闘争に巻き込まれずに、自給しているようです。

 

FTA(自由貿易協定)の指針いかんによって、コメの種子が遺伝子組み換えになる懸念は消えません。また最近の、新規需要米は家畜米づくりですので、いずれ、遺伝子組み換え種子の普及が目論みとしてあるのかもしれません。

 

現在の日本の食品についての表示義務では、種子についての事実を知る事は難しい状況です。

スーパーで買い物をするようになった、あるいは外食に頼るようになったこの国の食生活と生産現場の動きは連動しているので、これは市民的な問題です。

 

遺伝子組み換え種子を万に一でも混入した食品に表示を義務づけるよう、求めます。

 

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02

2月

2009

玄米食を考える

科学がいかに発達しようとも私たちは植物の種子一つ、

米粒のひとつを創造することができない。

 

私たちはお米を、種子である籾(もみ)の籾殻(もみがら)を取り除いて、

玄米の状態にしてから、胚芽と糠(ぬか)を削って白米にして食べるようになった。

 

最近は家庭用精米機も普及して、玄米貯蔵しておいた米を、

食べる分だけ精米するという考え方も定着している。

 

しかし、自然食や逆輸入されたマクロビオティックなどの考えから

再び玄米食に戻るという傾向も秘めている。

 

いっこうに減らない「貧しい国」の人々の飢餓を救うためには、大量の穀物が必要とされるという。

反面、世界穀物の三分の一は畜産飼料に使われているそうであるが。

 

日本の人口は減少化に転じたが、世界人口は増え続ける。(現在65億人が2050年に100億人を超えるという予測がある)

中国やインドなどの高度経済成長に突入した国が、これまでの日本のような大量消費の政策を採り、

国内の食料を世界中から輸入すれば良いという考え方が、果たしてその過剰人口の腹を満たす事ができるのか。

 

また、世界では穀物価格が高騰している。投機筋からの経済介入の動きもある。

大豆や小麦の生産量と供給量は、明らかに日本ではアンバランスしている。

 

時には珍しいものを食べたいという想いはあるが、

私たちが普段口に入れる物を他国に頼るという考えは、恥ずべき事と認識を変えるべきだ。

 

世界的な穀物不足や食糧争奪の気運が高まれば、玄米食は避けられない。

白米は、胚芽と米糠として多くの栄養素を削り落としてしまっている「もったいない現代食」のひとつだ。

 

胚(胚芽)よりも米糠に大量の飽和脂肪酸が含まれている。この飽和脂肪酸には、農薬や土壌に含まれている脂溶性のダイオキシンや重金属類が多く含まれ、白米よりも栄養分があるが、かえって危険性がある。

 

これが現代が白米食であるひとつの理由か。

だから安全な玄米は無農薬栽培に限る。無農薬でないものや減農薬の玄米はそのまま食べるのは避けた方が良い。

 

ちなみに、米一粒中には栄養分として胚芽に60%,米糠に20%,白米に20%。つまり、白米で食べるというのは、実に無駄の多い食べ方となる。

 

安全な米(本当の無農薬栽培米)であれば、胚芽と米糠と白米部分をそのまま食べられる。

「最も栄養価の高い食べ方」という事になる。でも、どのように食べたいかというのは、好みだと思う。

 

昔の農家は、直接消費者へお米を販売する経験がなかったから、農薬を使っていても無農薬だとか、安全な米だと、平気でホラを吹いてた。実際、農薬の被害も少なかったかもしれない。

 

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